《「さよならトリイホール」》
大阪・千日前のトリイホールは上方ビルの4階にある100人サイズの空間です。
1階には芸能の神様である弁才天(市杵島姫命)が祀られています。
このホールが今年度を以て、30年の歴史に幕を閉じることになります。
ここでは1991(平成3)年の開館以来、数多くの落語会や演劇が開かれてまいりました。
噺家がよく利用したというのには訳があり、以前、ここは「上方」という名の旅館だったのです。道頓堀の角座や中座に近いことから、東京の歌舞伎役者や噺家の定宿として愛されてまいりました。
ところが、ご亭主の息子である鳥居学さんに代替わりした頃、「バブル経済」の波が押し寄せ、地上げ屋に狙われたため、旅館業を廃し、飲食ビルにすることに…。その時、我が御大、桂米朝が「鳥居くん、ビルのどこかに若い噺家が研鑽できる場所を拵えられへんかいな」と打診したのがきっかけ。ビルの上階にホールが作られたのです。
こけら落としは吉村雄輝師による舞と桂米朝による落語という豪華な取り合わせでした。
ところが、その後すぐ、米朝が鳥居さんに「あとのことはウチの小米朝(当時)に任せたさかい!」
と発言( ; ゜Д゜)
それ以来、私のプロデュースによる「トリイ寄席」が開催される運びとなったのです。
開館当時は、寄席小屋が絶えて久しかった大阪において、噺家の研鑽の場として重宝がられておりました。
が、「バブル崩壊」で大阪ミナミの街が大きく変化。道頓堀から劇場がどんどん無くなり、元禄以来の文化の拠点が失われることに危機を感じた鳥居さんは、自ら真言宗の僧侶となり、毎日、護摩木を焚く修行を始められました。
護摩修法を続けるうちに、道頓堀の開削に隠れキリシタンが大いに係わっていたことが判明。「踏み絵」の際、命乞いしたキリシタンに、徳川幕府は「大坂夏の陣」で出た死骸の山を荼毘に付すことを指示。再開発事業としての道頓堀開削にもキリシタンを従事させたのです。
神道・仏教・耶蘇教が一緒になって供養を実施。「無縁仏でも千日祈れば極楽浄土に行ける」という触れ込みで「千日まいり」が流行し、全国から参拝客が押し寄せました。「千日前」の由来です。
道頓堀と千日前は表裏一体となって賑わいを醸し出し、元禄期に大輪の花を咲かせたのですね。
「往時の精神を忘れてはならない」という思いで、鳥居さんの護摩法要は千日はおろか、三千日を超えました。
その熱意がバチカンにも届き、二年前にはフランシスコ・ローマ教皇台下に謁見する栄誉に浴されたのです。
この度、トリイホールは演芸場としての役目を終え、千日山弘昌寺(せんにちざん・こうしょうじ)の本堂に生まれ変わります。
とは言え、大阪ミナミの文化発信の拠点であることに変わりはありません。いや、もっと大きな役目を担われることになるのかも。
30年間のご愛顧に感謝して、12月9日(月)~13日(金)の五日間、「さよならトリイホール」と題した落語会を開きます。期間中は階下の千日亭にて往年の歌舞伎俳優や落語家の筆による書画を展示するとのこと。
ご予約・お問い合わせはトリイホールまで☆
🍀米團治🍀